創業天保十一年

仁万屋-料亭NIMAYA

日本海の新鮮な魚、三瓶山の山の幸が味わえる老舗料亭「仁万屋」は、
石見銀山遺跡への玄関口にあります。

〒694-0064 島根県大田市大田町大田ハ187
【ご予約専用フリーダイヤル】0120-65-1050

周辺の観どころ

石見銀山

 

石見銀山

 

16世紀、世界に名を馳せた銀の国・日本。その代表だった石見銀山は、シルバーラッシュで栄えた当時の面影を今も色濃く残している貴重な歴史的・文化的資産といえます。
大森の町並みは、徳川幕府の二代目奉行が陣屋を現在の地に設けたことから始まります。道幅の狭い旧道沿いに武家屋敷や町家、社寺などが立ち並んでいて江戸時代の鉱山町の雰囲気を今に伝えており、1987年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
昔ながらの風情を持った街並みに、古民家を利用したお店などが立ち並び、どこか懐かしささえ感じられるこの通りは、訪れる観光客の心をほっと和ませてくれます。


石見銀山

 

女将のおすすめスポット

石見銀山にあるたくさんの観どころから、女将が厳選するお気に入りの場所をご紹介いたします。
もっと詳しい話、情報通の女将が知る面白話は、ぜひ仁万屋にお立ち寄りの際にお楽しみください。

石見銀山資料館 町並み交流館


石見銀山資料館	町並み交流館

 

石見銀山を管理した代官所跡に建てられた旧邇摩郡役所を利用し、石見銀山にまつわるさまざまな資料や、銀採掘に使用された当時の道具などが展示されていて、銀山についての歴史や知識を得るのにぜひ立ち寄っていただきたい資料館です。

町並み交流館

 

町並み交流館

 

大森の町並みを散策していると、ほぼ中間地点にある旧大森裁判所跡が町並み交流館として利用されています。
明治23年に建てられた擬洋風建築の建物で白い門とランプが目印。石見銀山の歴史や当時の人々の暮らしぶりなどをビデオなどでわかりやすく紹介しています。また、明治23年当時を一部復元公開した法廷のほか、資料展示室、ビデオ映像室もあります。

五百羅漢(ごひゃくらかん)

 

五百羅漢(ごひゃくらかん)

 

大森の町並みの一番奥の方に、羅漢寺というお寺があります。お寺の前の道を挟んだ川に反り橋が架かっており、それを渡ると石窟があります。
石窟の中には、温泉津の石工、坪内平七一門の人々が、同じく温泉津特産の福光石を刻んて造った約500体の羅漢像が、安置されており、喜怒哀楽の表情をした羅漢像は、今にも動き出しそうな気配が漂っています。
これらの羅漢像は、江戸時代に住職月海上人が銀山で亡くなった人々の霊と先祖の霊を供養するために、寛保元〜明和3年(1741〜1766年)25年かけて、代官や代官所役人、領内の人々の援助、協力を得て、石像を納めたと言われています。

龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)

 

龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)

 

銀の採掘のために掘られた横穴式の坑道を「間歩(まぶ)」と呼びます。慶長から寛永にかけての石見銀山の最盛期、大小約300程の間歩が掘られていたといわれています。現在でも福神山間歩、釜屋間歩などが残っており、その中でも龍源時間歩は最大規模です。
龍源寺間歩は、江戸時代中期、代官所直営の間歩(御直山:おじきやま)として操業されました。昭和63年の発掘調査で坑口付近の建物、鉱脈探査の試掘跡などが発見されています。平成元年に栃畑谷へ通り抜けできるようになり、坑道内部が見学できるようになりました。石見銀山では唯一、公開されている間歩です。長さ273mの坑道内には無数の生々しいノミの跡が当時のまま残っている他、時の坑内の様子をわかりやすく説明した「石見銀山絵巻」が展示されています。

熊谷家(くまがいけ)

 

熊谷家(くまがいけ)

 

大森地区で最大の商家といわれる熊谷家の遺宅。平成10年5月に国の重要文化財の指定を受けました。
平成13年より、市が8億3千万をかけて修復し、平成18年4月から一般公開されています。
熊谷家は、17世紀には鉱山経営をし、その後代官所の御用請負人、年寄職等を務め、江戸末期からは酒造業を営んでいました。延べ床面積650平米の敷地内には、広大な屋敷地、主屋、付属屋とともに4つの蔵が建ち並んでいます。寛政の大火後に再建されたものです。
公開されている館内には、当時の暮らしを再現した蔵や広間、台所などがあり、観光客で賑わっています。

河島家(かわしまけ)

 

河島家(かわしまけ)

 

地役人の総括役である組頭まで昇進した武士の屋敷で、大森の町並みの中で、唯一公開されている武家屋敷です。当時の生活用品なども展示されていて、その暮らしぶりがうかがえます。
屋敷が門塀で囲まれ、道に面して庭があり、その奥に母屋が配されているという典型的な武家屋敷の佇まい。

城上神社(きがみじんじゃ)

 

城上神社(きがみじんじゃ)

 

永享6年(1434年)、大内氏によって仁摩町馬路(にまちょうまじ)の高山から大森町愛宕山(あたごさん)に遷座され、天正5年(1577年)に毛利(もうり)氏によって現在位置に遷座、造営されましたが、寛政の大火により類焼。文化9年(1812年)4月に現在の拝殿が再建されたもので、江戸本所の亀井戸天満宮に傲い重葬式入母屋造瓦葺屋根です。
祭神は、大物主命(おおものぬしのみこと)〜〔大国主命〕(おおくにぬしのみこと)〜で、大久保長安にゆかりの遺物を伝えています。
拝殿の鏡天井に描かれた極彩色の天井絵「鳴き竜」は、三瓶山麓の絵師梶谷円林斉守休(かじたにえんりんさいもりやす)の手によるもので、絵の真下で手をたたくと、天井がリンリンと鳴り響きます。
また、この鏡天井の左右に格天井があり、各升目に紋づくしが描かれています。

井戸神社(いどじんじゃ)

 

井戸神社(いどじんじゃ)

 

井戸神社は、全国的な飢饉であった享保の大飢饉(1731〜1732年)の折に、危険を冒して入手したサツマイモの導入したり、年貢の減免をするなどして領民を救った 「芋代官」の呼び名で親しまれている第19代代官、井戸平左衛門正明を祀るために明治12年 (1879年) に建立された神社です。

おすすめリンク集

石見銀山に関する各種情報はこちらをご参照ください。

御勘弁飯